何もしたくない日が、実は一番深く進んでいる

何もしたくない朝に、置き去りにされる感じがするとき

朝起きて、
何をする気にもなれない日があります。

予定は頭の中にあるのに、
体がついてこない。
「今日は何も進んでいない気がする」
そんな言葉が、
静かに胸の奥に沈んでいく。

周りを見渡すと、
動いている人がいるように見えます。
前に進んでいるように見える誰かと、
自分を比べてしまうことも、
あるかもしれません。

何もしていない自分。
何も生み出していないように感じる時間。
そこに、
焦りや罪悪感が混ざってくることもあります。

けれど、
その感覚そのものが、
あなたの怠慢や弱さから
生まれたものだと
言い切れるでしょうか。

もしかすると、
「何もしたくない」と感じるその状態は、
あなたがどこかで
無理を重ねてきた結果なのかもしれません。

頑張り続けた末に、
言葉も、判断も、
一度静かになろうとしている。

そう考えると、
この停滞感は、
失敗や後退ではなく、
別のリズムの中にある時間とも
感じられてきます。

今は、
何かを変えなくてもいい。
何かを証明しなくてもいい。

ただ、
「何もしたくない」と
感じている自分がいる、
その事実だけが
ここにあるようです。


動いていない時間にも、別の流れがあるとしたら

一般的には、
動いていない時間は
「止まっている」と
表現されがちです。

前に進むこと。
結果を出すこと。
変化が見えること。

そうした基準で見ると、
何も起きていない時間は
空白やロスのように
扱われることもあります。

けれど、
レイキの視点では、
必ずしも
「動いていない=何も起きていない」
とは限らないようです。

エネルギーは、
常に外側で
分かりやすく動くとは限りません。
むしろ、
大きな調整ほど、
静かで、目立たず、
内側で進むことがあります。

何かをしようとすると
うまくいかない。
考えようとすると
言葉が出てこない。

そんなとき、
エネルギーは
前に進むことよりも、
一度、
「深く沈む」方向を
選んでいる場合もあるようです。

沈む、というと
後退のように聞こえるかもしれません。
けれどそれは、
壊れたものを直すために
一度、手を止める感覚にも
近いのかもしれません。

レイキ的に見ると、
「何も起きていない時間」は、
エネルギーが止まっているのではなく、
向きを変えている途中のようにも見えます。

表に出ていた意識が、
少しずつ内側へ戻っていく。
外に向かって張っていた緊張が、
ゆっくりとほどけていく。

その過程は、
とても静かで、
ほとんど気づかれません。

だからこそ、
自分では
「停滞している」と
感じやすいのかもしれません。

何かをしようとすると
違和感がある。
頑張ろうとすると
息が浅くなる。

そうした反応は、
エネルギーが
「今は違う場所にある」と
知らせているようにも感じられます。

動かないことで、
何かを拒んでいるのではなく、
動かないことでしか
保てないバランスが
あるのかもしれません。

それは、
前に進む準備ができていない、
というよりも、
すでに深いところで
進行している調整がある、
そんな状態にも見えてきます。

外から見れば
何も変わっていないようでも、
内側では、
これまで積み重ねてきたものが
静かに再配置されている。

レイキでは、
そのような時間を
「空白」ではなく、
ひとつの流れの中に
含めて捉えることがあります。


停滞だと思っていた感覚の、内側で起きていること

もし今、
何もしたくない日が続いているなら、
その感覚を
少しだけ丁寧に
眺めてみてもいいのかもしれません。

焦りがあるとき、
体のどこに
その感覚が現れているでしょうか。
胸なのか、
お腹なのか、
それとも、
言葉になる前の
曖昧な重さなのか。

無気力だと感じるとき、
本当に「何もない」のでしょうか。
あるいは、
情報や刺激が多すぎて、
一度、静けさを
必要としているだけかもしれません。

動けない、というより、
動かない選択が
自然に起きている。
そう捉えると、
この時間の質が
少し変わって見えることもあります。

何も生み出していないようで、
実は、
余計なものが
手放されている途中。

何も考えていないようで、
実は、
これまで無意識に背負っていたものが
ほどけ始めている途中。

そうした変化は、
音を立てません。
結果としても
すぐには現れません。

だから、
「進んでいる実感」が
持てなくても、
不思議ではないのです。

この時間を
意味づけしなくてもいい。
価値を見出さなくてもいい。

ただ、
何もしたくないと感じる自分が、
ここにいる。

その事実を
否定しないでいること自体が、
すでに
何かを整えているようにも
感じられます。


今は、そこにいるままで

何もしたくない日がある、
ということは、
何かが欠けている証では
ないのかもしれません。

むしろ、
これ以上足さなくてもいいところまで、
すでに来ている感覚。

動かないことで、
守られている静けさ。
言葉にならないまま、
内側でほどけていく時間。

それは、
誰かに見せるための進み方ではなく、
自分の中心に
戻っていく動きのようにも感じられます。

今は、
答えを出さなくていい。
意味を探さなくていい。

ただ、
今日の呼吸が
昨日より少しだけ
深くなっているかもしれない。

その小さな変化に
名前をつけなくても、
何かが
静かに続いている。

そう感じられる瞬間が、
もし、ほんの一瞬でもあれば、
それで十分なのかもしれません。

何も起きていないように見える時間も、
ちゃんと、
流れの中にあります。

今は、
そこに身を置いたままで。

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