はっきりした理由がないのに、心がざわつくとき
特別な出来事があったわけでもないのに、
なぜか、心の奥が落ち着かないときがあります。
はっきりした原因は見当たらない。
それでも、
どこかが少しざわついている。
考えようとすると、
理由は見つからないのに、
感覚だけが先に存在しているような状態。
「何かあっただろうか」
「どうしてこんな気持ちになるのだろう」
そうやって、
頭の中で答えを探し始めることもあるかもしれません。
けれど、
問いを重ねるほどに、
不安は少しずつ形を強めていくように感じられることもあります。
理由がないままに浮かぶ不安に、
戸惑いを覚える人もいるようです。
その感覚には、
はっきりと言葉を当てなくてもいい側面があるのかもしれません。
不安は外側ではなく、内側の揺れとして現れることもある
不安というと、
何か具体的な出来事や未来への心配から生まれるもの、
という印象があるかもしれません。
けれど、
理由がはっきりしない不安は、
外側の出来事というより、
内側の感覚の揺れとして
立ち上がっていることもあるようです。
たとえば、
環境や人との関わりの中で、
小さな違和感を受け取っていたとき。
その場では意識に上らなかったものが、
静かな時間の中で、
まとまりきらないまま浮かび上がってくることがあります。
それは、
何かを警告しているというより、
まだ形になっていない感覚が、
存在していることを知らせる
ひとつの動きなのかもしれません。
意味を探すほどに、形を持ちはじめる感覚
理由もなく不安を感じるとき、
その感覚に対して、
私たちは意味を与えようとすることがあります。
「何か悪いことが起きるのではないか」
「自分のどこかに問題があるのではないか」
そうした思考が、
静かに広がっていくこともあるようです。
けれど、
その解釈が重なるほどに、
もともとは輪郭のなかった不安が、
少しずつ形を持ち始めることもあります。
本来は、
ただ揺れていただけの感覚が、
言葉によって、
確かなもののように感じられていく。
そんな流れも、
どこかにあるのかもしれません。
そして、
その不安を消そうとしたとき、
さらにもうひとつ、
「感じてはいけない」という力が加わることがあります。
そのとき、
内側では、
感じている感覚と、
感じないようにする力が、
静かに引き合うようになります。
その引き合いが、
かえって落ち着かなさを
強めてしまうこともあるようです。
理由のない不安は、
何かを解決するためのサインというよりも、
まだ形にならないままの感覚が、
内側にあることを知らせる、
やわらかな揺れのようにも感じられます。
その揺れは、
無理に止めなくても、
時間の中でゆっくりと変わっていくものかもしれません。
理由を決めなくても、やわらかくほどけていくもの
理由の見えない不安が浮かぶ時間も、
何かが崩れている瞬間ではなく、
内側で、
まだ言葉にならない感覚が
静かに動いている途中なのかもしれません。
すぐに意味を見つけなくても、
その揺れの中にいること自体が、
ひとつの流れとして存在しているようです。
やがて、
その感覚は形を変えながら、
少しずつ落ち着いていくこともあります。何もはっきりさせなくても、
ただ、
そのまま通り過ぎていくのを感じるように。

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