今日は休みだったのに、なぜか疲れが残っている。
ゆっくり眠ったはずなのに、身体が重い。
何もしていないはずなのに、心だけが落ち着かない。
そんな日がありませんか。
せっかくの休日なのだから、元気にならなければ。
明日からまた頑張れるように、しっかり回復しなければ。
そう思えば思うほど、かえって休めなくなることがあります。
横になっていても、頭の中では仕事のことを考えている。
スマートフォンを眺めながら、誰かの言葉や暮らしを追い続けている。
何か有意義なことをしなければと、予定を探してしまう。
身体は止まっていても、心はずっと動き続けているのです。
私たちは、身体を休ませる方法については、ある程度知っています。
眠ること。
食事をとること。
湯船につかること。
無理をせず、横になること。
けれど、心を休ませる方法については、誰かに教わる機会が少なかったのかもしれません。
心の休息は、身体のように目に見えるものではありません。
何時間眠ればよいのか。
どれくらい休めば回復するのか。
何をすれば正解なのか。
はっきりした基準がないからこそ、私たちは休んでいる間にも不安になります。
こんなことをしていていいのだろうか。
もっと頑張っている人がいるのに。
今日も何もできなかった。
そんな言葉が心の中に浮かぶと、休息の時間まで自分を責める時間へと変わってしまいます。
もしかすると、疲れが抜けないのは、休む時間が足りないからではなく、休むことを自分に許せていないからなのかもしれません。
本当の休息とは、ただ動きを止めることではなく、何もしていない自分を責めないこと。
何かを生み出さなくてもいい。
役に立たなくてもいい。
すぐに答えを出さなくてもいい。
そんな時間を、自分に返してあげることなのかもしれません。
窓を少し開けて、入ってくる風を感じる。
温かいお茶を、急がずに飲む。
空の色が変わっていく様子を、ぼんやり眺める。
好きな音楽を流してもいいでしょう。
何も聴かずに、部屋の静けさに身を預けてもいいでしょう。
大切なのは、何をするかではありません。
その時間に、成果を求めないこと。
上手に休もうとしすぎないこと。
今の自分に必要な静けさを、そのまま受け取ること。
心は、急に元気になるとは限りません。
少し呼吸が深くなる。
肩の力がわずかに抜ける。
さっきまで気になっていたことが、ほんの少し遠くに感じられる。
そのような小さな変化を重ねながら、心はゆっくりと自分の居場所に戻っていきます。
長く頑張ってきた人ほど、休み方が分からなくなることがあります。
休んでいると、置いていかれる気がする。
立ち止まると、もう動けなくなる気がする。
頑張ることをやめたら、自分には何も残らない気がする。
けれど、休むことは、これまでの歩みを否定することではありません。
むしろ、今日まで歩いてきた自分をいたわることです。
疲れているときに立ち止まるのは、弱さではありません。
自分の内側の声を、きちんと受け取っているということです。
もし今日、何も進まなかったと感じても、大丈夫です。
片づけられなかったこと。
考えがまとまらなかったこと。
予定どおりにできなかったこと。
それらがあったとしても、今日という一日が無駄になるわけではありません。
目に見えないところで、心は静かに呼吸を整えています。
外へ向かっていた意識を少しずつ内側へ戻し、こぼれ落ちた力を拾い集めているのかもしれません。
休むことは、立ち止まることではありません。
すぐに前へ進むためでも、以前と同じように頑張るためでもなく、次の一歩を自分らしく選ぶための時間です。
疲れが抜けない日は、心があなたを困らせているのではなく、もう一度、やさしい休み方を思い出そうとしているのかもしれません。
今日は少しだけ、何もしない自分を許してみてください。
静かな時間の中で、あなたの心が本来の呼吸を取り戻していけますように。
今日という一日が、あなたにとって、やさしい休息になりますように。

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