人の言動が気になってしまうことはありませんか。
約束を守らない人。
時間にルーズな人。
責任を果たそうとしない人。
そんな姿を見ると、
なぜか強い苛立ちを感じてしまう。
「もっとちゃんとすればいいのに」
「どうしてそんなことができるのだろう」
そんな思いが浮かぶことがあります。
けれど、その感情を少しだけ丁寧に見つめてみると、
実は相手に向けている言葉ではなく、
自分自身に向け続けてきた言葉が隠れていることがあります。
「ちゃんとして」
この言葉を、
あなたはこれまで何度、自分に言い聞かせてきたでしょうか。
失敗してはいけない。
迷惑をかけてはいけない。
期待に応えなければいけない。
気づけば自分の心を励ますというより、
追い立てるための言葉になっていたかもしれません。
もちろん、そのおかげで頑張れたこともあるでしょう。
責任感を持ち、
周囲から信頼され、
真面目に生きてこられたのだと思います。
でも、その頑張りの奥には、
小さな頃の自分がいることがあります。
子どもの頃。
褒められたかった。
認めてもらいたかった。
愛されたかった。
そのために、
一生懸命「いい子」でいようとした。
ちゃんとしていれば愛される。
迷惑をかけなければ受け入れてもらえる。
そんな思いを抱えながら、
知らず知らずのうちに自分を律してきたのかもしれません。
それは決して弱さではありません。
その時のあなたにとって、
精一杯の生きる知恵だったのです。
だからこそ、
今、他人のだらしなさや未熟さが許せない時は、
心の奥でこんな声が響いていることがあります。
「私はあんなふうになりたくてもなれなかった」
「私はずっと頑張ってきたのに」
「私ばかり我慢してきたのに」
怒りの奥には、
我慢してきた悲しみや寂しさが隠れていることがあります。
相手を責める前に、
少しだけ自分の心を見てあげる。
本当は何を感じているのだろう。
本当は何を分かってほしかったのだろう。
そう問いかけてみるのです。
相手を許せない時。
それは自分を許せていないサインかもしれません。
失敗することを。
休むことを。
弱音を吐くことを。
自分には許してこなかったからこそ、
同じことをしている人を見ると苦しくなるのです。
だから正しさで戦う前に、
一度だけ胸に手を当ててみてください。
「よく頑張ってきたね」
そんな一言を、
誰かに言われるのを待つのではなく、
自分自身に向けてあげるのです。
完璧ではない日もあります。
うまくできない日もあります。
何も進まない日だってあります。
それでもあなたは、
今日まで生きてきました。
たくさん悩み、
迷い、
立ち止まりながらも歩いてきました。
だからもう、
少しくらい肩の力を抜いても大丈夫です。
完璧ではない今のあなたで、
もう十分。
そのままのあなたで、
今日まで生きてきたこと自体が、
かけがえのない価値なのですから。

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