これからどうしたらいいのだろう。
本当にこの道でいいのだろうか。
何を選べば後悔しないのだろう。
そんな問いが頭から離れなくなることがあります。
人生には、すぐに答えが見つからない時期があります。
選択肢はある。
考える材料もある。
けれど、どれだけ考えても決められない。
むしろ考えれば考えるほど、わからなくなってしまう。
そんな感覚です。
人は不安になると、考えます。
未来を予測しようとします。
失敗しない方法を探そうとします。
できるだけ安全な道を見つけようとします。
それは自然なことです。
心を守ろうとする働きでもあります。
けれど時には、その優しさが自分自身を迷路へ連れていってしまうことがあります。
考える。
また考える。
さらに考える。
すると頭の中だけが忙しくなり、気づけば身体は置き去りになっている。
そんなことがあるようです。
未来について悩んでいる時、私たちの意識は遠くへ飛んでいます。
まだ起きていない出来事。
まだ存在していない結果。
まだ見ぬ未来。
そこへ意識を向け続けています。
もちろん未来を思うことは悪いことではありません。
夢や希望もまた未来の中にあります。
けれど、ずっと未来に住み続けることは難しいのかもしれません。
なぜなら私たちの身体は、いつも「今」にしか存在していないからです。
レイキでは、身体感覚を大切にすることがあります。
何かを信じるよりも先に。
何かを理解するよりも先に。
今、自分が何を感じているのか。
そこへ静かに意識を向ける。
そんな時間があります。
それは特別な能力ではありません。
誰の中にもある感覚です。
ただ、忙しい日々の中で少し聞こえにくくなっているだけなのかもしれません。
例えば不安が強い時。
頭の中にはたくさんの言葉があります。
こうなったらどうしよう。
失敗したらどうしよう。
間違っていたらどうしよう。
言葉は次々に現れます。
けれど、その瞬間の身体はどうでしょう。
呼吸はどうでしょう。
肩の力はどうでしょう。
足は今、どこに触れているでしょう。
そんな問いを向けられると、少し戸惑う人もいるかもしれません。
それほど私たちは、頭の中で生きることに慣れているのです。
けれど自然界を見ていると、そこには思考よりも感覚の世界があります。
木々は未来の計画を立てません。
風は進路に迷いません。
鳥は人生設計を考えません。
ただ今ある場所で呼吸しています。
もちろん人間は人間ですから、考える力は大切です。
未来を描く力も必要です。
ただ、その力が強くなり過ぎた時、人は現在地を見失ってしまうことがあります。
どこへ向かうかばかり考えて、今どこにいるのかがわからなくなる。
そんな状態です。
夏の暑い日に裸足で地面に立つと、足裏から熱が伝わってきます。
土の感触。
芝生の柔らかさ。
石の硬さ。
その感覚はとても単純です。
意味もありません。
正解もありません。
ただ感じているだけです。
けれど不思議なことに、人はそうした感覚に触れると少し静かになります。
頭の中の声が消えるわけではありません。
悩みがなくなるわけでもありません。
それでも何かが変わります。
遠くへ飛んでいた意識が、少しだけ帰ってくるのです。
私たちは答えを急ぎます。
早く決めたい。
早く安心したい。
早く正解を知りたい。
そう思うこともあるでしょう。
けれど人生の大切なことほど、答えが後から見えてくることがあります。
選んだから正解になる。
歩いたから道になる。
そんなこともあります。
だから今、答えが見つからないことを責めなくてもいいのかもしれません。
未来がわからないことを問題にしなくてもいいのかもしれません。
不安というのは、多くの場合「まだ来ていない時間」の中で生まれます。
一方で身体は、いつも今を生きています。
呼吸は今ここで行われています。
心臓も今ここで動いています。
足も今ここで地面に触れています。
その事実は、とても静かです。
あまりにも当たり前すぎて、普段は気づきません。
けれど本当は、その静かさの中に安心の種があるのかもしれません。
遠くの未来を見続けていると、自分が小さく感じることがあります。
できていないことばかり見えてくることもあります。
けれど今この瞬間に戻ると、景色は少し変わります。
風が吹いていること。
鳥の声が聞こえること。
呼吸が続いていること。
そんな小さな事実が見えてきます。
それらは問題を解決してくれるわけではありません。
けれど、自分がちゃんとここにいることを思い出させてくれます。
そして時々、それだけで十分なこともあるのです。
人生には、遠くを見なければならない時期もあります。
未来を考える時間もあります。
けれど同じくらい、足元へ戻る時間も必要なのかもしれません。
どこへ向かうのか。
何を選ぶのか。
その答えがまだ見つからなくても。
今ここに立っていることだけは確かです。
足裏に伝わる感覚のように。
大地が静かに支えている重みのように。
答えより先に存在している安心が、今日も変わらずそこにあるのかもしれません。

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